Aさんは、ゆっくりと話し始めました。
赤ちゃんがモニター上元気がなかったこと、経産婦なのに分娩の進行が悪くなったこと
そう説明を受け帝王切開が決定しました。
心の準備をする間もなく事は猛スピードで進み、手術台に乗ったそうです。
不安の中、手術が始まり赤ちゃんが産まれた時 その病院の医師が
「なんや元気やん」
この言葉が耳に入ってきたそうです。
不安の中手術を終え、痛みをがまんしているとき家族が来てくれて
「なんや元気そうやん」
その言葉が聞こえました。
わかっていたそうです。すべて善意の言葉である事を。
医師も家族も=元気で良かったと思っての言葉であったことを。
でもすっきりしない思いが残ったそうです。
とどめは、痛くて動けない時、その病院の看護師さんが
「歩かないと赤ちゃんに会えないよ」
と言った言葉だったそうです。
これもがんばれということだったんだと思ったそうです。
でも「がんばれない私。赤ちゃんも抱いてあげられない自分」
こんな思いがどんどん大きくなることになったそうです。
「そのお気持ちを誰かにお伝えになりましたか」
そう聞くと
「みんな善意の言葉だから、話せませんでした。だれかを責めたいとかそんな気持ちではなかったし。
でもとても辛かったのです。」
涙を流され話されました。
そして、この「もっと私はがんばれたのではないか」という否定的な出産への思いはAさんの心の中に
封印されてしまいました。
その3に続きます。
永井